2006年09月06日

賜りし生命

子は、親を選んで生まれてくることが出来ません。

親も、子を選ぶことが出来ません。

しかし、

親が子に「生まれてくれてありがとう」と感じたり

人が「この世に生命を頂いた喜び」を感じることは、

幸せばかりでは無い人生ではあれども

時折、気づかされることがある。

まるで、コップに注がれた水があふれ出た時、

そのコップの存在を忘れ、

あふれ出た水しか見えない私ではあるが、

大いなる願いに生かされ育まれた中で

ふと気づかされる有り難さとは

そういうもなのかもしれない。

いよいよ人としての生涯を閉じ往かん時。

わが生命にお礼させていただけるような時を

精一杯過ごさせていただきたいと思う。

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posted by jsj at 21:44| Comment(3) | TrackBack(0) | 気づかされて
この記事へのコメント
素敵なお話です…私のブログに智見さんのブログへのリンクを貼りたいのですが、よろしいですか?
Posted by みのる at 2006年09月07日 19:28
それにしても、「そのありがたさ」については 本当に意識無く、気付き無く
日々を過ごしている私達ですね。
 色々、親と子の摩擦が生じた時でも 「子は親だけで
育つものではない。」 「預かり物である」と
考えれば少し気が楽になりはしますが、自分が
親から享けた以上のことは出来ない、それが
動物的な学習。
もし、享けた以上を我が子にしてやれたらそれは
その人が意識、無意識問わずに積み上げた何か、
自学の結果でしょうね。
これからは、我が子がどれだけ孫に親として 姿を
見せてやるか、それが私がしてやったコトであり
彼が積んだ結果なのでしょう。
Posted by キャロルズ at 2006年09月07日 19:46
みのるさま
いつもご覧頂き有り難うございます。
勿体無いお申し出をいただきまして恐縮です。
リンクはフリーです。こんな内容でよろしければ、どうぞ。
Posted by 釋智見  at 2006年09月08日 09:04
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