2006年09月19日

正座の心

ご法事を敬遠される理由の一つに

「正座」があげられます。

茶道・武道・仏事など、古くから伝わる

作法に於いて避けて通る事の出来ない

姿勢ですが、現代の生活様式では

非日常的な姿勢であることも否めません。

ご法事の読経中、後方の方から漏れ聞こえる

「うっ」という、ため息うめき?)

皆様に苦行を強いているようで、こちらまで

つらい気持ちになってきます。

(お経や話を端折るわけにもいけませんし・・・。)

なぜ正座なのか?

単純明瞭。

日本での正座は、畳文化の産物ともいえますが、

お敬いを表す姿勢として確立されてまいりました。

・身を屈する(大いなるものに対し身を小さくする)

・敵対心がない=受容

 (お侍さんが相手に刀を向け辛い)

その根底に「お敬いの心」があることは、

忘れてはならないことです。

ただし、

Cimg1019 近頃はご本山も含め、

 お寺の本堂も

 椅子を使用することが

 多くなってきました。

だって、せっかくの大切な時間を

お過ごしいただくはずが

心の中で「早く終われ!」

と叫んでいたら本末転倒ですもの。

畳席の時は、無理強いはしませんが(我慢は別です)

せめて最初と最後ぐらいは正座して下さること。

足を崩す場合、仏さまに対して足を向けないことを

ご留意下さいませ。

(ご無理は、なさらぬようお願いいたします。)

身体の不調で正座が出来ない時は、別として

「まず形から」という言葉通り、

身を正して事に望む時、

大切なお心を頂戴することに繋がって下さいます。

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2006年09月15日

京都へ

Cimg0969 西本願寺へ

 お参りに行って

 参りました。

 御影堂

(親鸞さまのお木像を御安置する建物)

の修復工事が行われているために

阿弥陀堂(本堂)の横に巨大なクレーンが2本

そびえ、不思議な光景となっています。

お御堂に上がり、阿弥陀さまにお礼をし、

親鸞さまに上山のご報告をしてしばらく後。

入り口の方からざわざわと声がしてきました。

どうやら修学旅行の中学生のようです。

ガイドの方の説明に聞き耳を立てていますと

簡潔明瞭、とても判りやすいものでした。

一通り説明を終えられ、

「では、阿弥陀さまと親鸞さまに合掌しましょう!

作法は手を合わせて、南無阿弥陀仏と

称えながら、礼拝(らいはい)します。」

案内されました。

学生たちは、そのお言葉通り

手を合わせ「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」

と称え静々と頭を垂れておりました。

Cimg0971 親鸞さまが

 京都弁で

 「おおきに」と

 微笑んで

いらっしゃる光景が思い浮かびました。

Cimg0975Cimg0970

posted by jsj at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | お参り

2006年08月11日

供養とは

Photo お参り先の床の間に、左のような軸が掛けられてありました。

「不忘敬」(敬いを忘れず)

ご法事をお勤めする上で大切にしたい心を表したお言葉です。

仏事において良く耳にする「供養」という言葉の原意も

「尊敬する」「礼拝する」というサンスクリット語の

プージャナよりおこったものです。

仏事が風習の踏襲のみであったり、親族のご接待に終始

されていることは、本来の意味とは程遠く、

してやお坊さん任せにするなんて勿体無いことですよ。

そういったことを踏まえ、

ご法事は「ご先祖様が一番お喜びくださることは何か?」という問いを

わが身に問いかける大切な営みであることにも気付かされます。

(ご先祖の好物を沢山供える ×× それだけだと逆行しています・・・。)

お盆に当たり、共に味わっていきたく思います。

posted by jsj at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | お参り