2006年09月12日

セラー探訪

お彼岸を一週間後にひかえ

命の水(アルコール含有)を求め

隣町へ足を伸ばしてまいりました。

「酒屋 なかみち」 橿原市小網町16-18

こちらのお店のご亭主は、「先見の明」という

言葉では表しきれないアイデンティティーを

お持ちのこだわりの人です。

特に、「アイデア即実行」という、私の苦手とする

所を見事に結実されて行くお姿に惹かれ、

来店ごとについ、

本来の目的を忘れてしまいそうになります。

今回も、お彼岸中のエネルギーを

買い求める為にお邪魔したのですが

「一度セラーをご覧になられますか?」との

ご亭主のお誘いに甘え、

企業秘密?満載のセラーを

ご案内いただきました。

古い街中にある倉庫の無機質のシャッターの奥は

世間と一線を画す別世界。

湿度・温度の管理された空間は、塵一つ無い

美しい環境が整えられ、入るものを拒むほどの

凛とした雰囲気が感じられました。

さらに部屋ごとに、

ワイン・焼酎・日本酒や木箱までが香り漂い、

その存在を主張してまいります。

ご亭主のお酒への愛情と徹底したこだわりが

それぞれのお酒の命に更なる息吹を注ぎ込み、

まるでハーモニーを奏でているかのような空間が

呈されておりました。

セラーからお店へ戻り、その場で頂きたい衝動を

Nakamichi930  抑えつつ、

 何種類かの

 お酒を選択。

 はたして、

お彼岸まで残っているでしょうか・・・。

こちらのお店。

「お酒をこよなく愛されている方」には

お勧めできます。

が「単にアルコールが好き。」

というお方には、ご亭主に申し訳なくて

お勧めできません。

(私もこの部類かもしれませんが・・・・。)

お店のHPは、こちらです。

「酒屋 なかみち」 さま

posted by jsj at 15:22| Comment(3) | TrackBack(0) | ほんまもん

2006年09月11日

聖教は

Shosinge1 これなんだか

 わかります?

 クリックすると

 拡大されます。

こちらは、ご門徒様宅に伝わる、

「正信念仏偈」(お経)の本です。

現在80歳になる当主がお爺様から受けつがれ

今も毎朝使われているそうです。

「お聖教(しょうぎょう)は読み破れ」(蓮如上人)

というお言葉が伝わっていますが、

このお経本はまさにその範たる

手垢で黒光りしたものです。

そのお経本を前にすると、大切な心が

静かに響いてまいります。

また、その家庭のお仏壇は、町屋の半間に収まる

こじんまりとした物ですが、京仏壇の美しさに加え

お飾りが作法通りの清楚なお荘厳になっており

いつも清々しくお参りさせて頂いております。

Obutsudan1 こちらもあわせて

 ご覧頂き、

 ご家庭の

 お仏壇のお飾りの

 ご参考に

 していただければ

 嬉しく思います。

posted by jsj at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ほんまもん

2006年07月19日

大雨洪水警報中の葬儀

大雨洪水警報発令の中、二軒の葬儀が営まれました。

涙雨というには、余りにも激しい天候でしたが何とか無事終了。

儀式は、結婚式のように何ヶ月も前から準備できるわけでなく、

逝去後すぐに沢山の方々が知恵を絞り

精一杯ご尽力くださりながら形作られて行きます。

そんなわけで儀式終了後、少し落ち着いてから

「ああすればよかった」 「こうすればよかった」

などとの思いに駆られることがままありますが、

それは勿体無いことだと思います。

さらにお身内が無くなって儀式の日を決める時、

まずカレンダーの六耀をご覧になられる方がありますが、

命あるものが亡くなる時は、「待ったなし」ということを

身をもってお示しくださったことをも受け取らせていただく大切な意味が

葬儀にあることを知らされるとき、日の良し悪しなどに振り回されることは

スタートから既に、反対方向へ向いていることに気が付かされます。

しかも「友引」などという言葉に惑わされて、亡くなった方が寂しがって

連れて行くと仰る方がありますが、

お浄土は寂しい場所ではありません。

(万が一そうであるなら、行かせてもらう意味が無くなります。)

寂しいのは、残された私なのです! 

しかしお念仏の法に遇わせていただいたとき、

お浄土という再び会える世界を頂戴し、

さらに

今既に共にいる世界をも頂戴させていただけるのです。

posted by jsj at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ほんまもん