2006年09月13日

繕い

ひんやりとした雨の一日。

ご来院の方も少なく、静かな時間を頂戴しました。

こんなときは、先師のご遺訓を紐解き、

心たむけることが理想とされるところですが

お寺の備品の修繕に勤しみました。

「形あるものが、やがて壊れていくことは、

世の常」といえますが、

その経過時間を緩やかにすることは

使う側の心がけで大きく左右されます。

作業中ふと

お釈迦様が着古した衣を、生活の道具として

様々に活用され、お手洗いの雑巾とした後

細かく裂いて、塗り壁の補強材にされた話を

思い出しました。

しかしこの頃は、繕った服や靴下を見かけることも

めっきり減り、雑巾までが水をはじく真新しい布で

作られ販売されています。

案外、「繕(つくろ)う」

という言葉も死語と化しているかもしれません。

(試しに、息子に尋ねてみましたら・・。言葉を失いました)

Canvas_2 「使用不可能」でなく

「不要」という

観点が中心となり、

物を捨てる時、

同時に心をも

捨て去ってしまうことに気付かされます。

先程も調子の悪くなった機械を修理のために

電気屋さんへ持って行きましたら

「直すより新しいものを、

買ったほうが安く付きますよ」

と言われ、困惑いたしました。

迷った挙句、修理を依頼しましたが

無駄遣いだったのでしょうか。(未だ答えは出ず。)

しかし、機械物って保障期間が過ぎた頃

それを知っているかのごとく壊れてしまうのは

何故なのでしょう?(私のところだけ??)

それだけ高品質ともいえるのでしょうが、

この品質の高さはいただけませんね。

とにかく、折角出合ったお道具。

愛着を持って大切に使わせて

頂きたいと思います。

あ〜勿体無し。勿体無し

posted by jsj at 15:52| Comment(1) | TrackBack(0) | 憂い

2006年07月06日

主義は相手を叩く武器となる

物騒な世の中と軽々しく論ずるわけにはいきませんが、

戦争=「国家が他国に対し、自己の目的を達するために

武力を行使する闘争状態」

という言葉が示す通り、

どちらかが仕掛けなければ決して起こるはずがないことです。

また、世界中のあちらこちらで、止むことなく今も戦争・紛争

が繰り広げられていますが、

歩み寄りや許す心がお互いに持ち得ない限り、ますます強力な

武器と論法で自己の主張をぶつけて共倒れになることは

誰の目から見ても明らかなことです。

小さい子どもたちがけんかをしているときのように

「はい! 一緒にごめんなさいして これで仲直り」

ってわけにはいかないんでしょうか。

全てではないでしょうが、仲裁国や組織までがハイエナのように

「そろばんずく」で仲立ちしようと企てていることも

結果「火に油を注ぐ」ことになっています。

60余年前の悲劇を繰り返さない為にも、

日本からでなければ提唱できないことがあると思います。

posted by jsj at 15:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 憂い

2006年06月20日

悲しい一日

お寺の近くで早朝火事が発生いたしました。

ご関係の皆様には、心よりお悔やみ申し上げます。

町内上空に取材のための数機のヘリコプターが繰り返し飛来し、

爆音と風の為に、お寺での儀式が台無しになってしまいました。(激怒!)

報道写真を見ても、今回の取材にヘリコプターが必要とは思えませんでした。

(素人考えでしょうか?)

近隣の学校でも授業中講義が出来ない状態だったようです。

さらに今回、お寺にまで取材がありましたが、

はっきり申し上げますと不快極まりない! 

言葉・行動・調査内容などなど、言い出せばきりがありませんが、

残されたものは、空しさのみでした。

悲しい事件や事故が毎日山のように報道されていますが、

いままでの事件や事故の背後にこんな現実があることは、

聞き及んでいるよりも壮絶なものとなりました。

現在の生活に正確で迅速な情報は無くてはならないものです。

加えて心温まるニュースも大歓迎いたしますが、単にゴシップ心をくすぐるだけ

報道なんて必要ありません。(報道と呼べる次元でもありませんが)

もしマスコミ関係の方がこれをご覧になられていたら、

心ある取材と報道をお願い申し上げます。

報道の自由を旗印に、悲しみを上塗りするなんて、非情すぎます。

posted by jsj at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 憂い