2007年01月12日

枕経 (まくらきょう)

Cimg0481  早朝、枕経の連絡あり。

 (枕経:

  一般にはご遺体の

  枕元で読経する事)

その方は、未明に亡くなられましたが

喪主さんが気を使い、朝まで待たれてのご連絡。

普段は夜10時から朝7時ごろまで

来院者や電話が鳴ることはありませんが

どなたかが亡くなると、まさにその時刻に

連絡が入ります。

(電話とインターフォンに

おびえる時間帯ともいえますが・・・・。)

しかし、どうして人は夜亡くなる事が多いのか?

不思議です。

生まれる時も、昼日中より夜中が多いような

気がします。自然の摂理なのでしょうか。

さて、冒頭に「枕経の解釈の一般論」を

示しましたが、浄土真宗に於ける枕経は、

「亡くなる前」が正式とされます。

亡くなる方に意識があれば、

共にお念仏させていただき

その気力すら無い場合は、手代わりとして

お仏壇の前で、生前中お支え下さった

阿弥陀様に家族そろって、御礼をし

臨終法話をお聴聞します。

但し、自宅で亡くなる事が難しくなった今、

ご遺体が家に帰られてから、お勤めすることが

多くなってきました。

かつて

「遺体が、ぬくい(温かい)うちに、早来て」と

おっしゃった喪主さんが、おられましたましたが

そこまであわてる必要はありません。

それより、元気なうちにお聴聞をこころがけ

自身の行く先をはっきりお聞かせいただくこと

大切です。

とはいえ、枕経の後、儀式の打ち合わせを

行いますので、お身内の方がご逝去されましたら

時を厭わず、お寺にご一報くださいませ。

posted by jsj at 15:24| Comment(2) | TrackBack(0) | お聞かせいただく

2007年01月09日

教半学

教うるは学ぶの半ばなり (書経・孔子)

(人に教えることは、半分は自分が学ぶこと)

お参り先でたくさんのお弟子さんをお持ちの

ご主人が、しみじみとお話くださいました。

そのお話をお聞かせいただき深く反省。

私も「共にお聞かせいただく」といいながら、

時折人前で教える機会があります。

Kokuban1 「おごらず・ひるまず」を

念頭に、

その場に立つように

注意をしていながら

「先生」の一言に

おごり、ひるみ、

手を抜くことを好む心に

揺れ動いている虚ろなる身です。

「人に教えることは、半分は自分が学ぶこと」

孔子のこの言葉の真意は、Kokubann2_1 

さらに深いところにあるようです。

posted by jsj at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | お聞かせいただく

2006年12月24日

キラキラのお浄土

世間はと言うものの

実質上、今年最後の日曜日となる本日は

駆け込み法事のラッシュとなりました。

冬休み中ということもあり、子どもさんの

お参りも多く、自ずと法話に力が入ります。

今日の法話は

お釈迦様の出家の動機となった「四門出遊」と

「お浄土」の話をお取次ぎさせて頂きました。

真剣な、まなざしでお聴聞する小学生の

お嬢ちゃんが、お釈迦様が出家される場面で

突然、シクシクと泣き出しました・・・・・。

かなり焦りましたが、そのまま続けます。

すべて話し終わった後、そのお嬢ちゃんは

おばあちゃんに抱きしめられながら、涙声で

「そのキラキラの世界に私も生まれたい」

(お浄土のことです)

J0409692 と話してくれました。

 ホッとするやら、

 嬉しいやら、

有難い、ご法縁を頂戴いたしました。

posted by jsj at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | お聞かせいただく